大晦日にボンヘッファーの「主のよき力に守られて」を!

2021年もまもなく過ぎ行きますね。

私はこの一年、朝机に向かう時に聖書協会発行の「聖書愛読こよみ」で指定される聖書箇所とボンヘッファーの『主のよき力に守られて ボンヘッファー1日1章』を読んで来ました。『1日1章』は何年か前にも通読しましたが、折に触れて読み返す一冊でもあります。

1年の終わりである12月31日は本のタイトルにもなっている「主のよき力に守られて」という詩が与えられました。この詩はボンヘッファーがナチスに抵抗して地下抵抗運動に加わり逮捕れた時、獄中で書かれ、処刑の約4ケ月前に婚約者に送った詩です。極限状況にあったボンヘッファーの人生の最後の「年末」にしたためられた言葉に心を揺さぶられます。

また、この詩は、この一年「香港を覚えての祈祷会」で繰り返し繰り返し歌った賛美歌の歌詞でもあります。

「よき力に守られて」

よき力に、確かに、静かに、取り囲まれ、
不思議にも守られ、慰められて、
私はここで日々を君たちと共に生き、
君たちと共に新年を迎えようとしています。

過ぎ去ろうとしている時に、私たちの心をなおも悩まし、
悪夢のような日々の重荷は、私たちをなおも圧し続けています。
ああ、主よ、どうかこのおびえおののく魂に、
あなたが備えている救いを与えてください。

あなたが、もし、私たちに、苦い杯を、苦汁にあふれる杯を、
なみなみとついで、差し出すなら、
私たちはそれを恐れずに、感謝して、
いつくしみと愛に満ちたあなたの手から受け取りましょう。

しかし、もし、あなたが、私たちにもう一度喜びを、
この世と、まぶしいばかりに輝く太陽に対する喜びを与えてくださるなら、
私たちは過ぎ去った日々のことをすべて思い起こしましょう。
私たちのこの世の生のすべては、あなたのものです。

あなたがこの闇の中にもたらしたろうそくを、
どうか今こそ暖かく、明るく燃やしてください。
そしてできるなら、引き裂かれた私たちをもう一度、結び合わせてください。
あなたの光が夜の闇の中でこそ輝くことを、私たちは知っています。

深い静けさが私たちを包んでいる今、この時に、
私たちに、聞かせてください。
私たちのまわりに広がる目に見えない世界のあふれるばかりの音の輝きを、
あなたのすべての子供たちが高らかに歌う賛美の歌声を。

よき力に、不思議にも守られて、
私たちは、来たるべきものを安らに待ち受けます。
神は、朝に、夕に、私たちのそばにいるでしょう。
そして、私たちが迎える新しい日々にも、神は必ず、私たちと共にいるでしょう。

ボンヘッファー『主のよき力に守られて ボンヘッファー1日1章』(村椿嘉信訳)

YouTubeで日本語で歌っているものを探したら若者たちが歌っているものがありました! 彼女らがボンヘッファーがどのような状況でこの詩を書いているのかを知っているのかどうかは分かりません、こうやって若い世代がこの詩を歌っていることがとても嬉しいです。

心に刺さる詩は多くありますが、賛美歌の歌詞として歌われているところでは、「過ぎた日々の悩み重くなおのしかかる時も、さわぎ立つ心しずめ、み旨に従いゆく」が2日の説教の黙想とも重なり私の心に響きました。

クリスマスを祝い、年末を迎えても、なお日々の悩みは重い現実があります。しかし、「よき力に、不思議にも守られて、私たちは、来たるべきものを安らに待ち受けます。神は、朝に、夕に、私たちのそばにいるでしょう。そして、私たちが迎える新しい日々にも、神は必ず、私たちと共にいるでしょう」。

私はボンヘッファー牧師の信従の足元にも及ばないものですが、来る2022年もさわぎ立つ心を抱えつつも、主のみ旨に従いゆく者でありたいと祈ります。主の祝福がみなさまの上に豊かにありますように! 来る年もどうぞよろしくお願いいたします。

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