「しがみつくように御言葉に」 Zoomで葬儀に参列

初めてZoomで葬儀に参列しました。希望が丘教会時代に本当にお世話になった瀬底恵子さんの葬儀でした(恵子さんはわたしに洗礼を授けてくださった故瀬底正義牧師の母上)。コロナのためご家族だけが高座教会に集まり、その他の者たちはZoomでの参列となりました。コロナ禍でこのような葬儀の形も増えるでしょう。

2017年の中会女性の集いの時に一緒に

この微笑みに何人の人が支えられ、救われたでしょうか。

希望が丘教会の青年時代から、牧師になってからも会う度にこの小さな体からどこからそんな力がでてくるのかと不思議に思うくらいの力でギュッとわたしの手を握り、「毎日、祈っているわよ」と言ってくださるのでした。

毎日、本当に祈ってくださっているのかは誰にも分かりませんが、恵子おばあちゃんは確かに毎日祈ってくれているに違いないと思わせる祈りの人でした。

希望が丘時代、水曜日の夜の祈祷会にわたしは毎週出席していました(土曜日は毎週幼馴染のりちんの部屋に泊まっていました)。出席者はそれほど多くありませんでした。多くても10人くらいだったでしょうか。祈祷部のメンバーであった恵子さんは必ず出席しておられたので、祈祷会の度に、何度も何度も恵子さんと一緒に祈りました。その祈りの姿がいまでも忘れられませんし、わたしのために祈ってくだった祈りの言葉にわたしの信仰は養われ、育まれたのでした。

「多くの困難があった母の生涯、御言葉と祈りがなければ生きてこれなかったのだと思います」。息子さんの正博さんの挨拶の言葉が心に響きました。葬礼拝の説教の中でも松本牧師が語られていましたが、戦中、戦後と本当に多くの試練や困難を経験されました。その中で恵子さんは「しがみつくように御言葉にすがった」ということを改めて教えられました。

そればかりでなく、苦難をも誇りとしています。苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むということを知っているからです」(ローマ5:3−5)

葬儀に参列しながら、わたしはこの聖句を思い起こしていました。おばあちゃんの笑顔はまさにこの聖句を証ししているとわたしは思うのです。

恵子おばあちゃんとの出会いを人生において与えられたことに感謝して、わたしもまた自分に与えられた生涯を御言葉を慕い、祈り、歩むものでありたいと思います。

R.I.P

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