「全能の神にもできないことがあります。
それは、“見捨てる”ということです。」
奥田知志牧師がコロナ禍でされた説教を集めた説教集『ユダよ、帰れ』に出てくる言葉です。
ユダの裏切りを語る説教の中で紹介されていたのが最初に紹介した言葉です。
私たちは時に、人生のある時点を見て「神に見捨てられた」と感じることがあります。
祈っても届かないように思える夜、誰にも理解されない孤独の中、
あるいは、自分で自分を赦せない瞬間。
いや、神を裏切ってしまう時が私たちにはあります。
でも、
それらすべてを含めてなお、神は「見捨てない」。
それは、慰めの言葉というよりも、
神の全能さの本質を言い表すような言葉です。
「すべてをなすことができる」からこそ、
見捨てること“だけ”はなさらないという――。
人は傷つくし、失望もするし、ときにあきらめもする。
でも、神は決してあきらめない。
裏切ったペトロをも、
遠く逃げた弟子たちをも、
そして、自ら命を絶ったユダさえも。
――帰ってこい、と、
ずっと待ち続けておられる。
見捨てないということは、
愛を持ち続けるということ。
条件をつけず、結果で見限らず、
そこに立ち続けるということ。
それが、私たちの信じている「神の力」です。
人の目には「放っておかれた」ように見えることもある。
でも、神は、
「決して見捨てない」というかたちで、
沈黙のうちにとどまってくださっているのかもしれません。
この愛の持続力に、今日も、私たちは支えられているのです。
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