映画監督・大林宣彦さんが、こんなことを何かで言っていたのをメモしていた。

「目だけはメイクできない。目にメイクできるのは心だけだ。」

映画監督として多くの俳優たちの目を見てきた人の言葉としてとても重たく響く。
たしかに、どれだけ外見を整えても、目の奥にあるものは隠せない。
むしろ目には、その人の生き方がにじみ出るということだろう。


聖書にも、こんな言葉がある。

「目は体の灯である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
目が悪ければ、体もまた暗い。」(ルカ11:34)

目は、光の入口であり、その人全体を照らすランプのようなものだと、イエスは語った。


子どもの頃に出会った忘れられない「目」がある。
瀬底正義牧師の目だ。
私が通っていためぐみ幼児園の園長であり、希望が丘教会の牧師であった。

大きくて、くりっとした目だった。
子どもだった私は、先生の目を通して、
何かを信じていいんだという“安心”をもらっていたのかもしれない。


そして今、私は同じように、地元の幼稚園で子どもたちと出会う機会を与えられている。
小さな子どもたちのその目に、私の目はどう映っているのだろうか。
子どもは、大人が思っている以上に、目を見ている。
言葉より先に、態度より深く、
目でその人の内側を受け取っているように思う。


私の目は瀬底先生のくりっとした目とは違って
一重で、細くて、「開いてるの?」と言われるような目をしている。

ただ、たとえこの細い目であっても、子どもたちの人生に、
ほんの少しでも残るような眼差しを注ぎたい。
そのために、自分の心を澄ませていたいと思う。


この春、子どもたちのまなざしの前に、私はまた立たせてもらっている。
彼らが見る目の中に、信頼の光を少しでも灯せたらと思う。

それはきっと、幼いころの私が見上げていた“あの目”に、
今、少しだけ近づこうとしているのかもしれない。

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