聖書の中でも、多くの人が幼い頃から親しんできた「種を蒔く人」のたとえ話。 農夫が蒔いた種が、道端や石だらけの地、あるいは茨の中に落ちて、鳥に食べられたり枯れたりする。けれど最後に「良い地」に落ちた種が、三十倍、六十倍、百倍という驚異的な実りを結ぶ――。
特に「百倍」という言葉の響きには、単なる豊作を超えた、爆発的な生命の力を感じずにはいられません。
私たちの心は、どんな「土地」だろうか
この物語は、「聞く耳のある者は聞きなさい」という言葉で閉じられています。つまり、私たちの「神の言葉の聞き方」を問う物語です。
私たちはこの話を読みながら、ついつい自分の心と照らし合わせてしまいます。「自分の価値観でカチコチになった道端のような心ではないか」「熱しやすく冷めやすい石だらけの地ではないか」「思い煩いや誘惑に覆われた茨の地ではないか」と。
そして、自らの内側を見つめては「私の心は良い地ではない」と溜息をつく。それが、私たちの正直な姿かもしれません。
神様は「無駄」を恐れない農夫
しかし、このたとえの本質は、私たちの不甲斐なさを指摘することではありません。むしろ、神様がどのような「土地」に対しても、なおも言葉(種)を蒔き続けてくださるという、その情熱にこそあります。
当時のパレスチナでは、種を蒔いてから土地を耕す農法があったそうです。 農夫である神様は、人間の目から見れば効率の悪い「道端」や「茨」のような心に対しても、選別することなく最高の種を蒔き、そこを耕し続けてくださいます。神様の愛とは、決して無駄を厭(いと)わない、執拗なまでの忍耐なのです。
人生を決定づける「一言」との出会い
かつてプロ野球の名監督・野村克也氏は、選手の再生のコツを問われ「言葉一つで人は変わる」と語りました。
私自身の人生もまた、20歳の誕生日の朝に出会ったひとつの聖書の言葉によって決定づけられました。私の中には今も、道端や石ころだらけの心が同居しています。けれど、神様の言葉には、人間を根底から作り変える力があります。主の忍耐によって、その一言が私を牧師という使命へと導き、今日まで生かし続けてくれました。
想像を超える実りを信じて
今、私たちの周りには厳しい現実があるかもしれません。しかし、私たちは絶望する必要はありません。神様の言葉こそが、私たちの想像を遥かに超えた「100倍」の出来事をもたらすと信じているからです。
それは単なる数字の増減ではありません。一人の人間が神様の言葉を「聞く」ことを通して、内側から質的に新しくされること。それこそが最大の恵みです。
たとえ外なる人が衰えても、内なる人が日々新たにされていく。この神様の言葉の力を信頼し、私たちは今日もしっかりと御言葉を聞き、新しい一歩を踏み出していきましょう。
※この記事は2026年1月25日に国立のぞみ教会の主日礼拝で語られた説教を元に書かれています。
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