派手さはいらない。堅実に。それがプロ。
――元メジャーリーガー・イチロー
元メジャーリーガー・イチロー選手の言葉は、野球の世界だけでなく、牧師の務めにも深く響く。
「ファインプレーを連発するのは、上手いからじゃない。下手だからだ」
かつて野球をしていた頃、指導者からそう教えられたことがある。
一流の選手は、下手な選手がファインプレーにすることを危なげなく、当たり前にプレーするものだ。
派手なプレーは目を引くが、真の信頼を生むのは、日々の堅実なプレーの積み重ねである。
牧師の仕事もまた、似ていると感じる。
公の場で注目を浴びる場面もあるかもしれないが、本当に大切なのは、日々の目立たない営みの積み重ねだ。
毎週の礼拝を丁寧に整え、祈りを捧げ、一人ひとりと、そして社会と真摯に向き合うこと。
これらの営みは、一見地味かもしれない。
しかし、その堅実さこそが、教会を育んでいくのである。
牧師としての「プロフェッショナル」とは何か。
聖書に関する深い知識か。
聴衆を魅了する卓越した説教力か。
円滑な人間関係を築くための高いコミュニケーション能力か。
この時代を見通す鋭い見識か。
もちろん、これらの要素も重要である。
しかし、「派手さはいらない。堅実に。それがプロ」という言葉は、牧師という務めにおいても、日々の働きを支える静かな軸となり、進むべき方向を示す確かな指針となるはずだ。
華やかなパフォーマンスではなく、日々の祈り、聖書の研鑽、そして教会の一人ひとりとの関わりを通して、キリストにあって、「共に喜び、共に泣く」。それが、牧師としてのプロフェッショナルであると私は思う。
そんな牧師で、私はありたい。

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