7月12日の主日礼拝は日本中会初の「神学校デー」としてささげられた。のぞみ教会には、私が卒業した日本聖書神学校の校長である神保望先生が来られ、説教してくださった。
神学校の75周年記念誌(2021年)に寄稿した原稿を、先週の説教要約の代わりに週報に掲載した。日頃の説教要約より反響があったのでブログにも転載しておく☺️
「はげしいな! 神学校生活」
唐澤 健太(2004年卒)
「頭にハゲが出来ているよ」。風呂あがりの私の頭を指差して妻が言った。鏡で見てみるとつむじの脇に500円玉大のハゲが出来ていた……。当時、まだ結婚したばかりの二十代半ば、神学校二年生の時だった。一つだった円形脱毛症は五つまで増えた。そのまま髪の毛が全部抜けてしまうのではないかと恐怖を覚えた時期もあったが、卒業する頃には治っていた。後にも先にも円形脱毛症になったのは神学校時代だけだ。
神学校生活は大きなストレスを抱えるものだった。小さな頃からひたすら野球のボールだけを追いかけて育った私には机に向かって勉強する習慣がまったくなかった。「推薦状に英語ができないと書かれているけど本当にできていないね」。入試の面接で当時の笠原校長に言われ、「入学してから必死にやります」と懇願し憐れみによって入学を許された。そのような者が、昼はアルバイトながら仕事をし、午後6時から10時まで勉強し、電車に揺られ帰宅すれば午前零時前。英語もできない者が、ギリシャ語などの語学の宿題をやり課題図書も読まなければならない。寝るのは三時を過ぎることが多かった。いくら若くても体力的にも厳しかった。そして何よりも大きな悩みは、自分の信仰が学びの中で大いに揺さぶられたことであった。
特に十字架と復活の理解を大いに揺さぶられた。いや、崩された。私にとってそれは自分の信仰が崩れてしまったように思える大事件であった。大変なことになったと悩んだ。しかし、「それでいい。勉強している証拠だ」。「そこからが楽しいよ。これを読んでみなさい」と学びを励まし、後押ししてくださる先生方が何人もいた。目が開かれる思いがした。教室での学び、そしてフィリピンでの掛け替えのない体験などを通して、少しずつ新しい光のもと十字架と復活を受け止め直していった。恩師の予言通り、神学校生活は、新しく福音の喜びに出会い直していく楽しい時間となった。
神学校での学びは、自分が理解してきた信仰を強化し、揺るぎなきものにすることではない。大いに揺さぶられ、崩されて、何もなくなってしまったようなところから、新しい理解へと開かれていくことに神学校で学ぶ意味があると今でも思う。もう一度あの生活をしろと言われてももうできないし、遠慮したい。それでも、悩み、考え、級友たちと議論し、励まし合ったあの神学校生活は人生でもっとも刺激的で充実した時間であった。
↓一日一回応援よろしくお願いします(^^)にほんブログ村