「どうせ無理だ」「やっても無駄だ」──そんな空気が、時代の奥底に染み込んでいる気がする。
将来は不透明。努力が報われる保証はない。ならば最初から挑まないほうがいい、という声が内側からも聞こえてくる。
だが、本当にそうか?
1954年、イギリスのロジャー・バニスターが1マイル=約1.6キロ走で「4分の壁」を破った。それまで“不可能”とされてきた記録を超えた直後、他の選手たちも次々と同じ壁を越えていく。「できる」と誰かが信じた瞬間、その信念は他者へ伝播する。これを「バニスター効果」と呼ぶというらしい。今朝の東京新聞「筆洗」(2025/04/30)から教わった。
元メジャーリーガーのイチローは言った。
「やってみて『ダメだ』とわかったことと、はじめから『ダメだ』と言われたことは、違います。」
自由学園および婦人之友社の創立者である羽仁もと子は、「人間の中に「やってみよう」と促す力と、「駄目だ」と抑える力の両方がある」と言った。問題は、どちらの力に自分が支配されるかだ。どちらの力に自分が支配されるのか。それが人生の分かれ道になる。
「私たちの精神生活の二つの動力の一つは『やってみよう」と自ら励ます力で、一つは『駄目だ』と抑える力です。私たちの中にある『やってみよう』という動力は、実に私たちの創造(つくら)れたままの本体です。」(羽仁もと子「思想しつつ生活しつつ祈りつつ 中」)
何かを始めるには確かな動機や自信が必要だと思いがちだが、そうではない。「何がしたいのかわからない」ときも、もがくこと自体がスタートになり得る。
動いてみなければ、道も答えも見えてこない。
信仰も同じである。完全な理解から始めるのではない。「やってみよう」と一歩を踏み出すところに、神の霊はそっと吹き込まれる。
たとえ心の中が49%の不安に満ちていても、51%の「やってみよう」で一歩を踏み出す。神の霊は、その一歩にそっと風を吹き入れる。
聖霊とは、私たちの背中を押す風である。
だから、言いたい。
何でもいい。やってみよう。無駄にはならない。
あなたのその一歩が、誰かにとっての「バニスター」になる。
やってみよう。
あなたの一歩が、きっと誰かの光になる。
↓一日一回応援よろしくお願いします(^^)
にほんブログ村
