昨日は敬愛する石塚惠司牧師の葬礼拝が宮井岳彦牧師(日本中会書記)が司式・説教を担当され、高座教会を会場にして執り行われた。本当に多くの人が参列し、先生の生涯を導かれた神を共に礼拝した。

先生が神と人に愛され、神と人を愛したことが証しされた。葬礼拝を通して多くの種が蒔かれたように感じられた。

私は現在、中会議長の職責を担っていることもあり、中会を代表して「弔辞」を述べた。以下は用意した弔辞の原稿である。ここに石塚先生への感謝を込めてここに残しておく。


弔辞

私が石塚先生と初めてお会いしたのは、まだ牧師になる前、中会青年会の修養会の時でした。正直に申し上げるなら、私の中で、石塚先生の第一印象は大変失礼ですが、「細かくて、面倒くさい先生だな」というものでした。

それはキャンプファイヤーの準備をしている時に、私が「賛美でもして待っていようか」とみんなに呼びかけた時、石塚先生から「神様をほめたたえることを、「賛美でも」と言うとは何事か!」と叱られたのでした。20歳前後だった私には、その叱責が少し面倒くさいように感じられましたのでありました。

いや、それは若い時だけではなく、私が牧師になってからも、たとえば中会会議においてなどでも、一つの言葉の使い方や意味について質されることもしばしばありました。議長をしていると「いま、そこを突っ込む?」と思わず心の中で、時には顔にでていたかもしれませんが、「石塚先生、細かいよ」と思っていたものでした。

石塚先生は、物事を曖昧に流されない方でした。人の言葉を聞き流さず、教会のこと、信仰のこと、宣教のこと、一人ひとりの歩みのことを、いつも丁寧に、細やかに、真っ直ぐに受け止める方でした。

今振り返るなら、私が「面倒くさい」と感じたものこそ、石塚先生の誠実さであり、愛であったのだと思います。先生の丁寧さは、時に、私たちの「雑さ」や「甘え」を照らし出す光だったのです。だからこそ、いまでもあのキャンプファイヤの出来事が私の心に大切な記憶として残っているのだと思います。

先生との個人的な思い出は私の中にも色々とありますが、やはり2度、ブラジルを訪問した時のことが印象深く残っています。

マッタデサンジョアンで暮らす教会の方々の家を、一軒、一軒、訪問する。ヘビに噛まれるかもしれないので、長靴をはいて、杖をもって、草原地帯を歩いていく。私はその先生の後ろを歩きながら、伝道者パウロと一緒に宣教旅行する若いテモテになったような、また羊飼いの後ろをついてく羊のような気持ちになったのをよく覚えています。

先生の後ろについて人々を訪ね、出会い、祈り、語り合い、時に疲れ、時に笑い、時に一緒に涙を流し、旅をしたその時間は、私にとって忘れることのできないものです。その細やかな牧会の姿をすぐそばで見せていただいたことは、私にとって、牧師としての原風景の一つとなりました。

ブラジルの旅で、今も鮮やかに思い出す光景があります。それはくさむらにある「アリの道」です。

小さなアリが一匹、また一匹と歩いていく。何千、何万という小さなアリたちが、同じところを歩き続けることによって、そこに一本の道ができていく。そのアリの道を、先生と共に見たことを、私は今も鮮やかに覚えています。

今、石塚先生の歩みを思う時、私はそのアリの道を思い起こします。

先生の丁寧な、細やかな伝道者の歩み一つ一つ、日々の祈り、礼拝、説教、訪問、人との出会い、教会への奉仕、その小さな一歩一歩が積み重ねられて、確かに一つの道をつくってこられました。

それは、神の国の道作りでありました。

石塚先生が祈りながら、悩みながら、時には細かすぎるほど丁寧に、真っ直ぐに歩んでこられた道。その道を歩く背中を、私たちは見せていただきました。

もうその姿を見ることはできなくなりましたが、私のたちの記憶に先生の背中は生き続けています。私たちもまた、先生が愛した「神の国の道づくり」に、これからも励んでまいります。

石塚先生、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

何よりも先生との出会いを会えてくださった神さまの御名を心よりほめたたえます! そしてご家族のみなさんに主の慰めがありますようにと心からお祈りいたします。

2026年4月29日 カンバーランド長老キリスト教会日本中会 議長 唐澤健太

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