今週の「愛読こよみ」のテーマは「道をえらぶ」です。 聖書協会が昨年のいつ頃から準備をしているのか分かりませんが、日曜日に衆議院選挙が行われた週にこのテーマが与えられる不思議を思います。そして、今週、「歴史的な選挙」の直後に、選ばれている聖句に、私は不思議な「神の言葉の備え」を感じずにはいられませんでした。
閉塞感の中で目覚めた朝
日曜日には主イエスが山上の説教で語られた有名な言葉が選ばれていました。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入る者は多い。命に通じる門は狭く、その道も細い。そして、それを見いだす者は少ない。」(マタイ7:13-14)
日曜日の夜、次々と報じられる選挙結果を前に、私は言いようのない不安――まるで戦後日本社会の底が抜けてしまったような、暗澹たる気持ちに包まれました。
憂鬱な気分で目覚めた月曜日の朝。しかし、ローズンゲン(「日々の聖句)の聖句の言葉が、私の背筋を正しました。
「もしあなたがたの地で、寄留者があなたのもとにとどまっているなら、虐げてはならない。」(レビ記19:33)
「私の命じることを行うならば、あなたがたは私の友である。」(ヨハネ15:14)
そして、愛読こよみでは「申命記」が与えられていました。
「見よ、私は今日、あなたの前に命と幸い、死と災いを置く。……あなたは命を選びなさい。」(申命記30:15, 19)
何に仕え、何を選ぶのか
選挙を経て、私たちは改めて問い直されています。「滅びに至る広い道」をゆくのか、それとも「命に至る狭い門」をゆくのか。
「多勢に無勢」という言葉が、今の社会ほどリアルに響く時はありません。 昨日、今日の聖書箇所に登場する預言者エリヤの時代もそうでした。権力を握るアハブ王とイゼベルを前に、民は沈黙し、一言も言い返せませんでした(列王記上18:21)。しかし、その圧倒的な不利の中で、エリヤはたった一人の預言者として立ちました。
もちろん、エリヤはこの後、弱音を吐き、ヘロヘロになって逃げ出します。彼は決して鋼のメンタルを持ったヒーローではありませんでした。しかし、神様はそんな彼を、決して見捨てませんでした。
「覚悟」ではなく「畏れ」を持って
私たちもまた、現代の「預言者」としてのあり方を問われているのかもしれません。 それは、単なる精神論としての「覚悟」を決めることではなく、目に見える数や勢力に惑わされず、生きて働かれる神の力をこそ畏れ、従っていくことです。
時代のうねりの中で、楽観視できる状況ではありません。しかし、今週この聖句たちが備えられていた事実に、私は深く勇気づけられています。
私たちは「命の道」を選びます。 神様の言葉を基準として、誰一人虐げられることのない、命と祝福の道を。 どんなに細く、見出す者が少ない道であっても、主が共におられるその道を、一歩ずつ歩み始めたいと思います。
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