近隣の家々のポストに、教会学校の案内を投函して歩いている。

バザーのチラシなら全戸に配るのだが、教会学校の案内となると、どうしても「しるし」を探すことになる。玄関先に置かれた小さな自転車、色鮮やかな子ども用の傘、物干し台で揺れる小さな袖。それらを見つけるたびに、私はそっと足を止める。

大きな体をした中年男が、よその家の軒先をキョロキョロと窺いながら歩く。客観的に見れば、いささか怪しい光景かもしれない。それでも私は、一枚一枚に祈りを込めて、ポストの隙間に紙を滑り込ませていく。

かつて、希望が丘教会の青年会時代、「チラシは千枚配って、一人が来れば成功だ」と励まし合ってチラシ配りをしていたことがあった。

今の世の中、タイパ(タイムパフォーマンス)や効率を考えれば、これはひどく「非効率」な作業だ。SNSで広告を打てば、瞬時に数千人に情報を届けることができる。

今の時代、発信力を高めるための便利な道具はいくらでもあるし、私たちもそれらを賢く使いこなしていく必要があるだろう。

けれど、スマートフォンの画面をなぞるだけでは決して得られない感触が、この町歩きにはある。

歩いてみれば、案外空き家が多いことに気づく。一方で、新築の家が増えていることもある。庭先が荒れている家を見れば、「ここの主(あるじ)は健やかだろうか」と、ふと胸をかすめるものがある。

ポストに手を伸ばすたび、私はその家で営まれている「生活の息吹」に触れる。 そして、自分はこの町に生きる人々のために、ここに遣わされているのだと思い出す。

用意した一千枚のチラシのうち、ほとんどは目にも留まらず、そのままゴミ箱へと運ばれるだろう。

しかし、かつて「たった一枚のチラシ」がきっかけで教会を訪れ、その後の人生が劇的に変わったという人の物語を、私は知っている。

一〇〇〇分の一という確率は、統計学の上では微々たるものだ。けれど、受け取ったその一人にとっては、それは一分の一、つまり「唯一の出会い」になる。

だから私は、明日もまたこの町を歩く。 ただ、祈りとともに。

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