説教の要約「あなたの道を行け」

2022年9月25日礼拝説教要約「あなたの道を行け」ダニエル12:1−13

ダニエルは晩年、嘆きの祈りをささげる中で幻を見る。その幻はバビロン帝国以降の覇権争いが示されていく。特に聖書学者たちは11章19節以下に出てくる「卑しむべき者」はダニエル書が編纂され、読まれた紀元2世紀にユダヤの民を迫害していたアンティオコス・エピファネスを指すと指摘している。「その時まで、苦難が続く/国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が」という啓示の言葉は、ダニエル書を読む読者たちのリアルな経験だったのだ。

しかし、この幻は「その時には救われるであろう」という希望の約束も示している。「その時」はいつなのか? いつ大天使長ミカエルは立ち、守護してくれるのか。それは苦難の中であえぐイスラエルの民にとって切実な問いであったに違いない。

ダニエル書には「一時期、二時期、そして半時期」(三年半を意味する)、11節以下には、1290日、1335日という具体的な日数が記されている。これらは迫害の終わる日を示していると言われ、実際、アンティオコス・エピファネスの迫害はおよそ三年半で終わったと言われる。しかし、すべてが解決したのではなかった。嘆きはいつも神の民にあり続けている。

ダニエルは「主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか」と問う。最後はどうなるのか。老年になったダニエルはそれを御使いに問うた。御使いは、「ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらのことは秘められ、封じられている」と答える。最後にどうなるのかを明確に教えてはくれなかった。

わたしはこれが神の民のリアルな人生であると思う。私たちには秘められており、封じられていることがあるのだ。わからないことを抱えているのだ。だけども、目覚めた者は悟る! 「終わりこと」は秘められたことである。しかし、また目覚めた人々は悟ることができる類のものなのだ。イエス様も弟子たちに「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも、子も知らない。父だけがご存知である」と言われ、そして「目を覚ましていなさい」と命じられた(マルコ13:32以下)。理解できないことを覚えつつ、しかし、神の約束を信じて、神に従っていく生き方が目を覚ましている人々ということだ。

 17日にウィリアム牧師の召天1年を記念して追悼集会が開かれた。ウィリアム先生の死は「なぜ、どうして?」という疑問を拭い去ることはできないが、先生は「キリストの弟子」としての生涯を全うされた「目覚めた人々」の一人であったと私は思う。巨大な権力が香港社会の自由を奪い去ろうとする中で、どこまでキリストに従うことを大切にされた牧師であった。その信仰は「香港福音宣言2020」に込められている。福音宣言は、第6項で「教会は、暗闇の時代にあって光の子である」と宣言し、「教会がこの世に存在する目的は、まさに、この暗闇と来たるべき日の間において、証人となること…教会は、神の国を待ち望み、その到来のために祈る。…平等・正義・愛という神の国の価値を香港において具体的に示さねばならない」と解説する。闇の中にあっても、救いを信じ、神の国を待ち望み、神の国の価値に生きる。それが教会であり、キリスト者であり、目覚めた人々である。「終わりまでお前の道を行け」。それは、来たるべき日まで、私たちが神の国の価値に生きる証人としての歩みを続けていくことに他ならない。

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