『高学歴親という病』

妻が購入して読んでいた本を借りて読了。私自身は「高学歴親」ではありません。と、言っても大学卒という枠組みには入っているのですが、いわゆる「偏差値」で評価されるところの「高学歴」ではありません。

ただ、著者がいう「高学歴」とは親自身が高学歴でなくても、自分がそうではないがゆえに子どもにより「学歴偏重主義」に走ってしまう人も「高学歴親」に含まれると定義されています。

高学歴親の子育てにおける三大リスクとして本書は「干渉」「矛盾」「溺愛」を取り上げます。それぞれに著者が医者として出会ってきた事例が取り上げられ、説得的に語られています。

矛盾は「親の言動が子どもから矛盾に感じてしまうこと」ということですが、どの親も抱えているリスクでしょうね。牧師の子どもなど、親の矛盾を間近で感じながら育っている違いないありません。我が家の子どもたちもそうでしょう。

本書が繰り返すメッセージの一つは本書の帯にもあるように「子育ては〈心配〉を〈信頼〉に変える旅」ということです。子どもを信頼できないから「干渉」してしまう。なぜ子どもを信頼できないのか? 高学歴親は傾向として、「完璧主義」「虚栄心」「孤独」だからだとの著者の指摘は的を得ていると思います。また高学歴親は「レジリエンス(ピンチを乗り越える力」)」が低いとも指摘します。

「ピンチを乗り越える力」とは、自己肯定感、社会性、ソーシャル・サポートという3つの力を持つことだそうです。そして本書は最後に「極太の軸」を持つ大切さを訴えて閉じられるのですが、私は教会という場において私たちは「レジリエンス」、換言すれば「生きる力」を与えられるのだと信じます。

神こそ、究極の「極太の軸」であると私は思うからです。

私はここ10数年、教会や地元の幼稚園などで子どもたちと触れ合う機会を与えられ、子育て中の保護者の方々と出会う機会に恵まれてきました。その中で当然悩みが多く分かち合われるのですが、そのような「場」があること自体が大切なのだと改めて本書を読みながら思いました。

いまのぞみ教会では日曜日の教会学校の礼拝が終わったあと、子どもたちの分級と並行して「大人分級」が行われています。多いときは6-7人の親たちが参加しています。聖書のメッセージを聞き、分かち合われることは「子育て」を通じて思うことが多いのです。そして多くの方が「子育ての悩みを話せる場所はあるようでない」といいます。そして、どこかで悩んでいる自分を許せないがゆえに、その悩みを分かち合えないという負のスパイラルに陥ることもよくあるように思うのです。

国立市の市議のお一人から国立市における子育ての問題は「親の子どもに対するアカハラだ(アカデミック・ハラスメント」と聞かされたことがあります。地域柄でしょうか、高学歴の親御さんが多いと確かに感じます。このような地域の中で、全存在を愛してくださる神の愛を福音として告げる教会の役割は大人にとっても、子どもにとっても決して小さくはないと思うのです。

教会にくれば子育ての悩みが解決するわけではありません。それでも、人生の「極太の軸」はここにあると私は信じています。

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