🕊神の愛を呼吸するということ
一番の罪の本源(もと)は何でしょうか。
心を開いて神の愛とその力を呼吸することをしないことから来るのです。
――羽仁もと子
聖書で言う「罪(ハマルティア)」は、“的外れ”という意味を持つ。
それは単に道徳的な失敗ではなく、本来向かうべき愛の中心から、すこしずつずれていく生き方だ。
羽仁は、そのずれのはじまりを「神の愛とその力を呼吸しないこと」だと捉えた。
呼吸を止めてしまう。
神のほうへ心を開くことをやめてしまう。
そのとき、静かに魂の酸欠が始まっていく。
私たちは、日々さまざまな空気を吸っている。
焦り、不安、比較、情報、義務感。
気づけば、心の呼吸が浅くなっている。
そういう時こそ、神の愛を吸い直す時間が必要になる。
では、どうすれば神の愛とその力を呼吸できるのか?
特別な方法があるわけではない。
むしろ、ごく小さなことで十分なのだと思う。
一人静かに5分間、目を閉じてみる。
深く息を吐いて、「神様」と呼びかけて祈る。
道ばたの花にふと立ち止まる。
誰かの話を、途中で遮らずに最後まで聴く。
口を閉じて、何も判断せず、ただ黙る時間をもつ。
そうした場面に、
神の息が届く隙間が生まれる。
呼吸は「深さ」ではなく、「向き」が大事なのかもしれない。
何を吸い、どこに心を開いているか。
それが、人生の質を少しずつ変えていく。
今日、ほんの少しだけ、
自分の呼吸が神のほうへ向く瞬間をつくってみたい。
それが、信仰のいちばん素朴な回復のかたちかもしれない。
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