ブログ「牧師のひとり言」の祈りを通して礼拝へ!

昨日26日はクリスマス後、最初の主日礼拝であり、2021年最後の主日礼拝でした。その礼拝に新来会者が2名いらした。お一人はこのクリスマス礼拝で転入されたSさんの親戚の方、もう一人はクリスチャンの方ですが、私のブログを読んだのをきっかけに電車に乗ってわざわざ礼拝に来てくださいました。

その方は沖縄出身の方ではありませんが、沖縄への差別的な対応に心を痛めておられるときに、私が旧「牧師のひとり言」に2015年3月24日「ゴスペル歌う会」の記事に書いた「祈りの言葉」に出合ったそうです。その祈りは、普天間基地の野嵩ゲート前で行われている「ゴスペルを歌う会」に寄せた「連帯の祈り」でした。

祈り

 主なる神さま。私たちは今、十字架へと歩みを進められた主イエスの道を思い起こすレントの時を過ごしています。私たちの主は、エルサレムにお入りになる時に、人を殺すための軍馬ではなく、小さなロバの子を用いられました。私たちは小さなロバに乗るお方を私たちの主としてとしてお迎えします。
 主よ、普天間のゲート前でささげられている賛美の歌声を、祈りの声を、魂の叫びをお聞きください。この世の支配者たちは、まったくその声を聞こうとしません。しかし、主は、民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ民の声を聞き、その痛みを知ってくださることを私たちは知っています。
 今、国家の巨大な力が、平和を愛し、平和を求める人々を踏みつけ、押し倒し、羽交い締めにしています。しかし主よ、たとえ強い者たちの力が私たちの賛美の歌声をかき消そうとしても、主よ、あなたに私たちのこの賛美が届いていることを信じます。だから、私たちは勇気を出して今日もあなたに賛美をささげます。すでに復活の勝利を私たちに示してくださった主の御名を高らかにほめ歌います!
 主よ、沖縄が平和の島として一日も早く回復しますように。奪われた土地が、もとある姿に戻されますように。あなたの創造された自然を破壊し、新しい基地を作ろうとする愚かな企てが打ち壊されますように。その場に座り込み、声を上げている一人一人をお守りください。沖縄から、この国から、この世界から基地がなくなりますように。主よ、私たちの祈りをお聞きください。私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。

牧師のひとり言「ゴスペルを歌う会」(2015年3月24日)

その方は、この祈りをプリントして部屋に貼って祈りに覚えておられるとのことでした。沖縄の状況はますます厳しく心が痛みます。御茶ノ水駅前の「ゴスペルを歌う会」にもしばらく参加できていませんがますます祈り、できることをしなければと思います。それでも、わたしの拙い祈りの言葉が一人の方が受け止め、祈りの言葉を共にしてくださっていたことを知り、励まされました。

そして不思議なことに、自分がかつて書いた言葉に自分自身が勇気づけられました。

「微力であっても、無力ではない」。できることは小さいかもしれないけども、できることをする。関心を寄せていく。福島も沖縄も、平和も私たちが無関心であれば、権力はやりたいようにやる。

 私たちは巨大な像の足に食らいつくありんこにすぎない。像の周りに飛ぶハエのようなものだ。だけども、その小さな抵抗がブレーキをかけているのは確かなのだ。そして力ある者たちは相当「うざい」と思っている。無駄じゃないと信じ、小さな抵抗こそ闇の中の光と信じて、できることをやろう。

同上

「微力であっても、無力ではない」は、東日本大震災のボランティアで関わった「エマオ」で出合った言葉。「ありんこ」の行は横浜のドヤ街寿町で働かれている渡辺英俊牧師の言葉。私も心を支えられる言葉との出合い、何よりも御言葉との出合いによって支えられ、生きる力を得ている。

私も拙くてもその時、その時に「言葉」を残しておくことの大切さを改めて思いました。これからも拙い言葉ですが、この新しいブログにも私なりに「ひとり言」を書いていきたいと思います。

↓一日一回応援よろしくお願いします(^^)
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村