説教の要約「望みが消えようとする時に」

2022年5月29日礼拝説教要約「望みが消えようとする時に」

パウロは囚人のままローマへ向けて出航した。季節外れの航海に踏み出した結果、「エウラキロン」という島から吹き下ろす北東の暴風に悩まされ、船は流されていった。「幾日もの間、太陽も星も見えず。暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」(20節)。進むべき方向を見失い、嵐の中で希望がまったく見えないという絶望に人々は陥ったのだ。

しかし、その中でパウロは立ち、「元気を出しなさい」と語り、人々を励ます。「元気を出しなさい」という言葉は、時に私たちを苛立たせる。いや怒りさえ引き起こす言葉でもある。「元気を出せ」と言われて元気が出るなら苦労はない……。それでも、パウロは「元気を出しなさい」と語りかけたのだ。

ここで大事なことはパウロが、自分は安全な場所にいて、「元気を出せ」と言っているのではないということだ。パウロも同じ船に乗り、嵐に翻弄されているのだ。にもかかわらずパウロはその嵐の中で、ついに助かる望みはまったく消えようとしていた時に、「元気を出しなさい」と一人立ち上がり、語りだしたのだ!

パウロがそう語ったのは、「パウロ、恐れるな」との天使の語りかけを聞いたからに他ならない。「恐れるな」と語りかけられたということは、パウロに「恐れ」があったといことだ。まったく望みを失いそうになる、嵐の海で恐れない人などない。死の恐怖を覚えたはずだ。だからこそ、天使は「恐れるな」とパウロに語りかけたのだ。パウロも同じ船の中で、他の人々と同じように、恐れていたのだ。望みを失いそうになっていたのだ。

しかし、そこに仕え、礼拝する神からの「メッセージ」が届いた。「あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」。パウロがこの絶望的な状況でなお「元気を出しなさい」と言い得たのは、神の言葉の語りかけを聞いたことと神に委ねられた使命と約束、神の言葉に対する信頼だけだ。それ以外に「元気を出しなさい」と語った根拠はない。

私たちは、神の言葉を信じる、信仰の戦いを経験する。「昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。人は絶え間なく言う「お前の神はどこにいる」と」(詩編42:4)。外から内から「お前の神はどこにいる」、「神を信じて何になる」という声が聞こえてくる。

しかし、神様はいつも語りかけてくださるのだ。今日、この礼拝を通して、神様は御言葉をもって私たちに出会ってくださる。その「神の言葉」への信頼へと私たちはいつも招かれるのだ。

「多くの困難があった母の生涯、御言葉と祈りがなければ生きて来られなかったのだと思います。母はしがみつくように御言葉にすがった」。嵐に翻弄されながらもいつも微笑みを絶やさなかった信仰者の葬儀で語られた言葉だ。「神を信じる」ということは、決して嵐を経験しないということではない。たとえ嵐の中にあっても、「必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」と神にある希望を持ち、神の約束と使命を信じて生きることだ。

来週はペンテコステ礼拝だ。神の国への航海。私たちはなおも嵐を経験する。でも、必ず神の国の到来へと至る。それが私たちへの神の約束である。その約束を信じ、私たちは私たちに委ねられた福音を宣べ伝える使命を果たそう。

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